「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」を読んで

2018-03-03

昨日、今日と、ずっとケント・ギルバートさんの「まだGHQの洗脳に縛られている日本人」という本を読んでいた。

僕は本を読むのが遅い(すぐ脱線する)ので丸2日かかってしまったけど、最後の章ではずっと涙が出てしまった。内容というより、こんなに日本のことを理解してくれていて、アメリカの方なのに心底日本人の心配をしてくれていて、それなのに自分も含めて周りの人も、漠然と「日本って大丈夫なのかなぁ。」と話しているのがとてもおかしなことなんだなって思ってしまった。

今はちょうど10月22日に衆院選挙の投開票を控えているけど、今回の選挙は明確に支持する政党も決まったし、必ず投票に行きたいとも思った。

本を読んでて、強烈に思いだしたのが、「知覧特攻記念会館」に行った時の事。

2014年の夏に鹿児島に一人旅をしたんです。

鹿児島にはドラクエ10で知り合った友達が2人いたので、「一度会いに行きたいな」と思って会いに行ってきたの。当初は「鹿児島だから豚肉だな!」(失礼)ぐらいの気持ちで行ったんんだけど、友達のうちの一人がわざわざ車を出してくれて、思いがけず色々な観光地に連れていって貰いました。

夜は夜でもう一人の友達と合流して3人で飲んでたんだけど、「鹿児島きたらどこ見てもらうのがいいんだろう?」みたいな話になって、龍馬に関する場所や霧島山とか、有名な所の中に「知覧特攻記念会館は…うーんどうだろう?一度は行ったほうがいいけど…」みたいな感じで、僕も「カミカゼ特攻」というのは学校で習ったことはあったけど、「昔の軍事政策で最後は燃料がなくなって片道の燃料で自爆まがいのことをしていた」ぐらいの知識だったの。それで、興味本位もあって記念会館に行ったんだけど、結構その内容が自分にとっては衝撃的だった。

僕の感じたものをそのまま書くと、特攻隊の宿舎や特攻隊員の写真や特攻に出る前に最後に書いた手紙が展示してあったんだけど、写真に写っているのはとても気持ちのいい笑顔。「明日特攻する」という人達の笑顔。それは造り笑いとかではなくて、なんというか「清らかな」という笑顔。

それから手紙の内容は、親に感謝し、国に感謝し、それでもやっぱり特攻に対する恐怖が書いてあったけど、それは「嫌だ」「帰りたい」みたいなものではなく、「一発お見舞いしてやるぜ」に近いのかな。ある種の高潔さを感じたの。

もちろん、戦争や神風特攻なんていうのが良いとは思わないけど、そこにいる人達は16歳〜21歳で、僕よりも全然年下なのに(当時は34歳)すでに僕よりも全然年上のように感じるし、何よりも「日本が大好きなんだな」っていうのが伝わってきて、そう思ったら自分が同じ年の頃はただただ学校に通って遊んでいただけだなと思うと、涙が出てきた。

本に書いてあるのは戦後のGHQが行なった洗脳の話だけど、人によっては「戦時中の日本がしていたことが洗脳で、戦後は正しい状態になったんじゃないの?」と思うのかもしれない。

僕も「知覧特攻記念会館」に行くまでは、「日本が起こした戦争の負の部分を、戒めとする為に作られた記念会館かな?」とか思っていた。

でも、実際に見て僕が感じたのは、洗脳されていた訳でもなく、嫌々徴収されたのでもなく、日本のために、日本の未来のために、命を賭して守ろうとしてくれたんだなと、そんな気持ちになったことを思い出しました。

実際に本を読めば伝わると思うんだけど、「今も誰かに洗脳されている」というような怪文書的なものではなくて、戦後にGHQが行なっていた戦略が実文書とともに記載されていて、GHQ自体は既に日本にいないけれども、GHQが作った仕組みをそうと知ってか知らずか、今も脈々と継続しているという内容です。

何が嘘で、何が本当か、なんて当事者でない以上は本当のところは分からないけれども、一つだけ感じたのは、今の日本の教育や報道、社会生活の中で、違和感を感じることに対して、この本を読むととても腑に落ちました。

「普通」とか「常識」って何?
あなた達の「常識」は私の「常識」ではない。
と日頃から思う人は読んでみる事をお薦めします。(。・ω・)ノ゙