日本の少子高齢化について思うこと

2018-10-15

先日こんなことをいきなり言われて、少しイラっとした。

「こんな会話もできないのか!?そんなんだから結婚できないんだよ!」
「お前みたいなのがいるから少子化になるんだ!」

結婚していないし、子供もいないのは事実だからいいとしても、なぜ日本の少子化の原因を背負わされなければならないのか…

細かいことを書くと完全なる愚痴と悪口になるので割愛して、これを言われてちょっと腹が立ったので日本の少子高齢化について自分なりに色々調べた。

日本の「少子高齢化」について

ちなみに僕は専門家でも何でもなく、色々と本を読んだりネットで調べたりした内容を、自分なりに総括したので、僕の現状の考えです。

戦前から戦後にかけて

日本の出生数と出生率1900-2010

もともと、日本の出生率は30%を越えていて、多く産まれるものの乳幼児の死亡率が高く、寿命も今ほど長くはなかったです。江戸時代の平均寿命は30才〜40才と言われていて、「7歳までは神のうち」と言われるくらい、乳幼児の死亡率が高かったようです。(平均寿命というのは、新生児が何才まで生きられるかを統計学的に予想したものなので、乳幼児の死亡率が高いと平均寿命は低くなる)

日本の平均寿命が50才を超えたのは1947年。当時の統計上では、1947年生まれの人は「だいたい50才くらいで亡くなる」と予想されていたけれども、この年に生まれた267万人のうち8割以上が60代半ばを過ぎても存命というのが現実。

日本の出生数は、戦後急激に増え、さらにその後は急激に減速します。戦後急激に増えた原因は、戦前からの人口政策と終戦による安堵からではないかなと思っています。

引用:人口政策確立要綱(1941年)

出生の増加は今後の十年間に婚姻年齢を現在に比し概ね三年はやむると共に一夫婦の出生数平均五児に達することを目標として計画(?)す

“平均5人産め” って結構えげつない…

これに対して、一時は出生数が上がったものの、その後急激に出生数を下げているのは、戦後の不況に伴い国民が自発的に抑制したのだろうと、厚生白書に記載されています。

引用:厚生白書(1956年度版)序章 わが国の人口問題と社会保障

それでは、戦後わずか一〇年の間に、わが国の人口をかくも急速に少産少死型に転換させてしまった特殊な条件とは、一体何であろうか。

まず、死亡率を急激に低落させたものは、社会保障制度、特に疾病保険と医療扶助の急速な普及と、医学および公衆衛生の驚異的な進歩であろう。
次に、出生率を急激に低落させたものは、いうまでもなく、国民の出生抑制の努力である。

それがいかに激しいものであったかは、 第三表に示す人工妊娠中絶件数を一見すれば明らかであろう。しかも、実際の件数は、この表に示された正規の報告件数を上回るものと推定されるから、われわれは同時に出生の抑制が、合理的な
受胎調節という方法に必ずしもよったものではないことを残念ながら認めなければならない。

さて、国民に出生抑制の努力を払わせるものは、われわれの生活を維持し向上させていくためには、子供をあまりたくさんは生めないという国民の生活の実感であるといってよいであろう。すなわち前にも述べた、わが国における過剰人口の重圧というものが国民にこの実感をもたらしたものとみられ、そしてこの重圧は、今後長期にわたって軽減されないばかりでなく、むしろ逆に加重されて行くとみてよいものであるから、国民のかかる実感もまた、ますます強くなって行くものと考えられるのである。

この頃の厚生白書を読むと、今と同じようにその後の少子化を危惧し、国民の生活に対する不満や不安から、年金・医療・社会福祉制度を充実させて行った。

これによって…かはわからないけど、その後の出生率は横ばいに転じている。出生数が増えているのは単純に第一次ベビーブーム頃の人たちが、結婚適齢期になったからだと思う。

高度経済成長期は人口爆発を懸念していた

引用:厚生白書(1974年度版)第1章 日本人口の動き

近時,国際連合を中心として,世界人口の増加を抑えて可能な限り早い時期に世界人口を静止させるべきだという認識が定着しつつある。

我が国の人口は,ほぼ「置換えレベル」の状態にあり静止人口(人口のゼロ成長)のポテンシャルをもつ。

これは序文の記載。

「置き換えレベル」というのは、恐らく出生数と死亡数が同数程度で推移して問題ないだけの人口数だと思っている。ちなみに、1974年当時の日本の人口数は約1.1億人。現在(2017年)の日本の人口数は1.27億人。

しかし,人口増加を急速に抑制しようとすると,「2児までに抑える」欄(合計特殊出生率1.745,純再生産率 0.831)から明らかなように,人口規模が膨張しないかわりに,年少人口が激減し,0~14歳の人口は,昭和100 年時点で1,793万1,000人にすぎず,年齢構成は極端に老齢化する。またこの傾向を延長させると人口の減少が続くので昭和120年には人口規模が1億人を割り,昭和200年には大正末並みの5,859万人に縮小する。この試算において,昭和100年の人口動態をみると,出生数は昭和47年における203万8,000人の6割程度に 減少するのに,死亡数は2.5倍の約180万にのぼり,年々50万人からの自然減がある。いわば出生の喜びには 恵まれず,死亡の悲しみに多く直面するわけであり,そのような社会がいかに暗いムードをただよわせるか, 想像に難くない。

こちらは総括部分。

この頃の役人すげーなと思った。そうだよ暗いムードただよってるよ(笑)昭和100年には到達してないけど。ちなみに2016年の日本の出生数は98万1000人、死亡数は129万6000人。

で、1974年頃から出生率は緩やかに下がり初めている。

何でか?について確実なことは言えないけど、団地と白物家電(テレビ、冷蔵庫、洗濯機など)の普及かなと思っている。(引用:住宅団地の実態調査 – 国土交通省

戸建で祖父母や近隣の人達と一緒に過す形態から、団地に移り住み隣人は顔を知っている程度で子育ては自分達が中心。2LDKが主流だったので、あまり子供を産んでも住む場所が手狭になるので出産率は低下し、子育てよりも白物家電の購入に資産を投じるようになった。僕が小学生ぐらいの頃(1990年頃)ですら、公営団地は抽選倍率が10倍ぐらいあって、抽選に当たれば引っ越ししない限り格安の住居が与えられるという感じだった。

そして現代(2017年)

ということは、ここは強引に持って行くけど、現状の少子化は狙って行ったものであって、過去の経緯からすれば ”大成功” ということ。それにも関わらず、少子高齢化を問題視し、「少子化に歯止めをかけなければ」という論調が生まれるのかというと、問題は年功序列、定年退職、年金受給に集約されると思う。

年功序列により、能力に関係なく年収が上がっていき
定年退職により、能力に関係なくリタイアを余儀なくされ
年金受給により、60歳以降は生活が保証されている

これは、定年退職して行く人数と、それを支える労働人口の割合が同一であれば永続できる考え方ではあったけれども、長寿命化と少子化で割合が崩れたことにより、そもそもの制度自体が崩れているということ。これだけを見れば確かに少子化を改善することも一つの方策であるし、有効に働く可能性はあるものの、その一点突破のみだと改善されるのは10年〜20年後になってしまう。また、過去の経緯から見れば、単純に出産率を上げるだけでは続く20年後にはまた同様の問題が起こる可能性はいくらでもある。

少子化は確かに改善するべきことではあるけれども、単純にそこだけにフォーカスするべきではなく、年功序列に伴なう終身雇用を前提とした流動性の低い雇用形態を見直し、定年退職を撤廃して能力があればいつまでも働ける環境を整え、年金受給はあってないものと思うべきなんだろうなと思う。

こんなのは、色々な人が言っていることであるし、政府も改善に乗り出そうとしている。副業解禁であったり、働き方改革だったり、年金受給年齢の引き上げであったり。

そんな中で、僕らが考えるべきことは、現在の人海戦術にのっとった労疲するだけの働き方ではなく、80歳まで100歳までを見据えて続けていけるような活動をして行くことだと思う。

もちろん、60歳を超えて働きたくないと思うのは自由だし、どうやったら実現できるか考えればいい。40歳でリタイアしたいと思う人もいるだろう。死ぬまで働き続けたいと思う人もいるだろう。もしかしたら明日には事故で死亡するかもしれない。そうであれば、今辛いと思う仕事に集中するのではなく、やってて楽しいと思うことに集中するのがいいんだろうなと思うのです。

なんにせよ、少子化は僕のせいではないんだ!(笑)

(。・ω・)ノ゙